努力の自覚がある内は努力できていない

翻訳者になりたくて相談されることや、昔だとAnyaは学校の勉強のことで相談されることが多々あったんですが、先日twitterでこういうのを見かけて画面の前で頷いてしまいました。

「努力している」と思っている内はまだ足りない

唐突ですが、学生時代の勉強に関してはAnyaはやるのが当たり前でした。中学校までは授業を聞いて理解する、宿題はきちんと出す、テスト前は勉強する程度。高校は量が増えるので一気に量が増えますが、普通についていけるようにはしていました。

勉強のことで相談してくる同級生は大勢いましたが、勉強できない子って話を聞いてると「やらないのが当たり前」になりすぎてるので「やるだけで苦痛」なんですよね

社会人でもそうですが、何もやってない内からできる人に「どうやったらできるか」を安易に聞いてくる人ってこの記事に書いた人と似ていて、他人にばかり答えを求め、自分で試行錯誤をしてないのは共通しているように思います。自分でやってたらそんな漠然とした質問、普通出て来ないはずですから。

孫さんやビル・ゲイツに話を聞いても同じような成功はできないだろうっていうのは皆分かっても、身近な話になると途端に考えが甘くなりがちですよね。これって逆で、日常の小さな努力すらやっていないから、うまくいかないだけでは…?

努力している意識がある内は努力はできない

最近テレビで東大生を取材して、超オタクっぽい勉強大好きな子を出してますけどああいうのは少数派です。東大キャンパスを歩けば分かると思いますが皆ごく普通。

皆勉強大好きオタクでなく、やるべきことを淡々とやれるだけです。

旧帝や早慶など有名大学を出ている友人は多いのですが、皆大抵「勉強が嫌いでない」のは当然で、元々意識が高いというか負けず嫌いですし、プライドが高いけれどそれを良い方向に利用できる人が多い傾向にはあると思います。

元の性格とか、生まれもっての能力もそりゃあると思いますよ。そんなの、幼稚園児や小学生見てても感じますよね。

でも、小さなことでも当たり前の様にやる人と、やらない人とでは5年10年経てばそりゃあ差は開きます。例えば、NHKのラジオ英会話は1日15分ですが、10年間続ければ15分×365日×10年間÷60分で912時間。一方、やらなければ当然0

デキない人って、他人の成功を元々の才能のおかげみたいに言う人を結構見かけますが、成功者って息を吐くように努力をしているケースがほとんど。ノーベル賞受賞研究者が1日数時間しか研究室にいましたなんて言いますか?むしろ家庭を放ったらかして研究室に入り浸りってよくインタビューで答えてますよね。

下の記事にも書きましたが、努力って習慣化してしまって、淡々とやるのが肝だと思います。

努力はルーティン化すべし

淡々とやることの効用

淡々とやれるってことは、完全に日常と化しているんです。お風呂に入ったり食事するのと一緒なので、「努力してる意識」は一切なくなります。こうなれば、成功して当たり前。いちいち普段から気合い入れる必要もないです。

「明日からダイエット!」とか言っていきなり無茶な食事制限をやっても続かないですが、一般人でも良い体型をずっとキープしている人って意外と本人は努力してる意識がなく運動が元々好きだったり、油っぽいものが苦手だったりしますし、大幅なダイエットに成功して長期で維持できている人も、改善した生活習慣そのものが完全に定着しています。

下の本は、内容的には当然も当然ですが、結果を出せてない人は確かにできてないなってことが書かれているので、知識はあるのにうまく結果が出ない方は一度読んで気を引き締めても良いでしょう。

毎日当然のようにやる、ってかなり根性が必要にも思えますが、実際は完全に逆で、自分にとって当たり前のことになればもはや「やるぞ!」と思うこともないのでストレス0で努力できるので最強です